地雷処理現場研修所感No3 (同志社大学生)

 2009年3月2日(月)~4日(水)の間、同志社大学の、竹村彩花さん、近記美季さん、高橋梨紗さん、石井真希さん、幡井美香さんがカンボジアのタサエンコミューンで実施している住民参加型地雷処理活動を見学された時の所感文が寄せられましたのでご紹介します。

JMAS研修所感 (同志社大学)

カンボジアに魅せられた三日間

近記美季

私は今回の旅はただ旅行で現地に行くよりは1000倍素敵な体験が出来たと思います!そして、国内での勉強会と現地活動を通して、本物を見ることの難しさを感じました。というのも、私は現地に行って自分が思い描いていたカンボジアの像と現実のGAPに驚きました。私は東南アジアでカンボジアといえば発展途上国で貧しい人たちが多く、道を歩けば物乞いの人たちがたくさんいるようなイメージを持っていました。確かに、経済や工業を見れば発展しているとは言えないし、貧困問題が存在することは否定できません。でも、私が想像していたものとは違っていて。彼らには彼らの時間が流れている。そう思いました。私たちがJMASさんのお世話になって訪れたタイとの国境にあるタサエン村ではそのことをもっと強く感じました。彼らは少し歩けば地雷原にたどり着くほどの距離にある場所で生活しています。生活の場のすぐ近くで毎日地雷の爆破処理が行われている状況です。日本人ならまず、そんな危険な場所に住みたくない!と思うのではないのでしょうか。しかし彼らは地雷と共存しているのです。地雷がある状況が生活空間のなかに溶け込んでいる。これって私にしたら信じられない感覚でした。でも、彼らにとっては日常なのです。地雷撤去現場は蒸し暑く、ただ立っているだけでも汗がにじんできます。その中で地雷撤去は集中力と体力との戦いです。一回でも、たった一回でも失敗すれば死につながるお仕事です。ただでさえ私なら避けたいと思うことなのに、過去にあった処理中の事故に対して遺族の方々が何も文句は言わなかったという言葉をきいて驚きを隠せませんでした。ディマイナーの方にインタビューしたときも彼らは地雷がなくなればこの土地も安全になるし、みんなのために頑張っていると言っていました。また、地雷を踏んだ方にインタビューしたときは、死んだ戦友に比べれば僕の足が吹き飛んだことなんてたいしたことはない。ただこの国、カンボジアを守るために僕はベトナム軍と戦ったんだ。という言葉をきいて何も言えませんでした。そして、何が「真実」なのかを見極めることはとても難しいと感じました。それから、支援って何なんだろうとも考えました。カンボジアにはカンボジアの時間が流れている。カンボジアの価値観や尺度が存在する。それなのに日本の私たちのものさしですべてをはかってそれを支援だというのなら、それは違うと思います。それではただ私たちの自己満足で押し付け以外のなにものでもない。じゃあ、現地の人たちは今何を求めているのか、これからわたしたちは彼らとどう関わっていけば良いのか。その答えはまだでていません。支援のありかたの答えは一つではなく、日々模索しながら進めていくものなのかもしれないと思います。これについては私もまだまだ悩み続けていこうと思います。タサエン村での生活を通してさまざまな学びがあって本当によかったと思いました。JMASの方々には本当に感謝しています。ありがとうございました!!

とにかく毎日生きていることに感謝した10日間、
ああ神様ありがとうって。戦争のない国に生を授けてくれてありがとう。

   高橋梨紗小さいけど良い家族をありがとう、勉強できる環境をありがとうって。でもそれはカンボジアを見て優越感に浸ったわけではない。ただ与えられた環境の中で精一杯生きようと決心したのだ。タサエンの人たちは地雷と共存して生活されている。
私は地位や名誉を守ろうとするこの国で生かされている。
それでいいのだ。大切なことは、お互いが今の自分と周りを受け入れ、尊重することである。そして平等に生きていけるように助け合うこと。
今回のスタディツアーは始まりである。
私のボランティアとの、
私と私との。
カンボジアの人から学んだ思いやりを忘れず生きていこう、
自分に素直に生きていこう、そして自分の世界に疲れたら、カンボジアを思い出そう。
きっと私はまた訪れるのだ。忘れられない地雷と共に生きる人を思いだして。

カンボジア 2009

幡井美香

「カンボジアに行きたい。」

「現実を自分の目でみたい。」

この思いはどんどん大きくなっていました。

まさかこうやって本当に自分が直にこの問題にかかわれるなんて何年か前の私には考えもつかなったことでした。

カンボジアって奥が深い‥

歴史も、雰囲気も、そしてカンボジアに住む人たちも。

タサエン地区ではカンボジアの人たちの大らかさ、温かさを強く感じました。

地雷の被害にあったケインさんが「地雷の被害に遭ったことなんて大したことじゃないんです。普通のことなんです。」といったこと、「カンボジアには「偏見」なんてことばはないんです。」という高山さんのことば、私はこれから忘れることはないと思います。

このときほどやるせない気持ちになって切なくなったことはないような気がするからです。

タサエン地区は本当に素敵なところでした。

日本みたいにクーラーがなくったって、ゆっくりつかれるお風呂がなくったって、十分に舗装された道路がなくったって、

地雷がまだ埋められたままであったって‥

みんなが本当にしあわせそうでした。

しあわせは自分がきめる。

本当にその通りだと思います。

村ではみんながいつも笑っていました。私も村でいっぱい笑いました。言葉は通じなくても笑っていたらみんなが繋がっているような気が私にはします。

今回私は自分の無知さに本当にいやになり、知ることからもう一回はじめたいと思えたきっかけとなりました。何も知らないって恥ずかしいというよりも悲しいです。限られた大学生活の中で自分に残っている時間はどんどん少なくなっていっています。無駄にすることのないようにしていきたいと強く思いました。

JMASの皆様、本当にお世話になりました。

これからもよろしくお願いします。

出会えて本当によかったです。

暗黒の地」から「希望の地」へ

石井真希


 数年前までは雑草が茂む地雷原だった。


 マイナスとも言えるスタート地点。そこから、JMASとCMACが協力して、 雑草を除去し、道路を築き、地雷撤去作業を行った。 雨が降った次の日には、腰の上まで水がたまり、足元は不安定でその作業は生半可な覚悟ではできなかったとJMASの方がおしゃっていた。 現在、元地雷原は、田畑に変わっていた。大豆を植え、これを食べることも売ることもできる。希望がみえてきた。

 さらに、数100メートル進むと、中学校があった。サッカー場では何人かの子供たちが駆け回っていた。地雷原だったころでは想像もできない光景だったと思う。

 私はこの活動を見るまでは、地雷除去といえば、ただ地雷のない土地にすることだと思っていた。けれども、それは間違っていたことが今回訪問させて頂いたことで学んだ。
JMASの行う地雷除去とは、地雷を取り除き、そして、希望を与える。
希望をカンボジア人自身が見いだせるように0からのスタート地点につかせてあげる活動であると思った。そして、そこまで到達するには、想像を絶する葛藤、苦労、衝突、予期せぬ出来事があることも知りました。最後に、JMASさんに感謝の意を述べたいと思います。
まず、平常業務が多忙の中、私たちの訪問を受け入れて下さったこと。
さらには、日本では経験できないようなこと、知ることができないようなことを教えていただいたこと。
感謝の気持ちでいっぱいです。JMASさんの宿舎に泊まらせて頂いたのは数日間ですが、この時間は一生忘れることができないと思います。
ありがとうございました。 

カンボジアと私

竹村彩花

帰国して1週間が過ぎた。今でも思い出されるのはカンボジアで風景、人、街並み、そして地雷。街にはトゥクトゥクが走り、日本語を流暢に使っているカンボジア人がそこにはいた。高台から見たアンコールワットに映る夕日は、私たちに何を伝えたかったのだろう。沈んでいく夕日に私はカンボジアの未来を見据えていた。

「サブハビ~地雷~」が2年目を突入した。その理由は簡単だった。自分の中で、まだ消化できてなかったし、知識も浅かった。何より、自分の目で見てみたいと思えるくらい地雷やカンボジアという国に引き込まれていた。行かないと後悔する、その一心だった。そこで、立ち上げた第二期メンバー6名。出逢った時から、このチームは熱い!と感じていた。勉強会をしていくうちに、やはり現地入りが目の前に浮かび、行けばまた何かが変わると思った。そして、今回のカンボジアスタディツアーが実現し、自分の眠っていた夢が現実となった。

 カンボジアでの生活は、訪れる場所によって様々だった。都市は発展し、ホテルも多かった。しかし、バッタンバンからタサエン村に向かうに連れて、建物の数は減少し、道路は砂ぼこりで前すら見えない状態になっていた。見晴らしの良い農業地に、高床式の家が所々に建っていた。これが、カンボジアの格差なのかと感じた。タサエン村での生活は、正直戸惑った。トイレットペーパーもない、シャワーではなく井戸水をかぶる、布団は御座…私は平気だったけれど、キツいメンバーもいただろうなぁ…..笑。生活面でも現地に溶け込み、私たちは地雷原に住む人々の生活を垣間見ることができた。いざ、地雷原に足を踏み入れると、いくら除去が終わっている土地だと言われても正直怖かった。それはみんなの表情からも察知することができた。朝、発見されたばかりの地雷を目の前にし、私はカンボジアの現実をすぐに受け止めることができなかった。自分の1m先に足が吹っ飛ぶ兵器がある、信じられなかった。昼ご飯前に爆破処理を見せてもらった。処理に必要な火薬は増しているが、それでも地雷の恐ろしさを遠目から見ていて、初めて実感した。

「これが地雷なんだ」と。

 このような経験ができたのもJMASさんのおかげであり、とても感謝している。JMASは、地雷や不発弾を除去するという村にとって確実に良い活動を行っている。また、自立を促す支援のあり方は私も共感できた。3年後には撤退すると聞いて、だからこそJMASがいなくなってもこの村が自分たちの力で復興していけるように、その土台を築いているのだと思った。高山さんが何度も繰り返しておっしゃっていた「信念」という言葉。

信念を持って何かをすることは継続することを意とする。

私はこのような活動を自分の生涯をかけてやっている人は本当に魅力を感じる。高山さんの話を聞いていて、その信念の強さが伝わってきた。私にとって、何か1つのことを続けるのに、信念を持って継続しているものはあるか……この先は……..。今まで、やりたい仕事も将来の夢も曖昧なまま生きてきたけれど、私が唯一、心に響いたり、自分の力がどうにか役に立たないかと考える分野がこれだ。そして、今回の旅で確信を持ってそう思えた。しかし、感じたことはそれだけではない。地雷と共に生きる人々の姿には私が想像していたものを違うものだった。もちろん、地雷や戦争をよく思う人はいないが、私がタサエンで出逢った人々の中には、憎んでいる人はいなかった。戦争時代を懐かしむ人や、足がなくなっただけで生きていることに幸せを感じている人もいた。私の日本人特有とも言える偏見は一気に崩された。そして、現地の声を聞けたことに、ここへ来た大切な意味を見出すことができた。

 ポル・ポト政権を憎む人と懐かしむ人がいる。現地に行って、その時代がまだ国民にとって歴史という言葉に変わっていないことも感じた。しかし、あの時代に行われた現実を目の当たりにして、私はその瞬間の歴史に触れた。大量虐殺、拷問、強制移住などはカンボジアの未来を一時止めてしまったかもしれない。しかし、今を生きている国民の気持ちが自分の心になにかを残していった。人々の表情や温かさは、人が人を思いやる心をなって感じられた。でも、私もまだまだ知識不足だと痛感した。この旅で、疑問に思ったことをきちんと消化していきたい。

 たくさんの経験と考えを張り巡らすことのできた1週間。私たちの得たものは、誰かに伝えることが大切だ。今回カンボジアに行ってみて、私たちにできたことは何もない。ただ、現状を見て知ってきただけだ。だからこそ、これからの事後活動に積極的に取り組んでいきたい。そして、個人的にはリターンして、自分にできることをしてみたいと思った。じぶんが自分になるチャンスかもしれない。

メンバーへ

 1週間ありがとう。このチームだったからこそ、最高の旅ができた。バカみたいに笑って、はしゃいで、でも集中するところは真剣になって考えたりできるのが本当に良かった。私の、現地に行きたい!って夢が叶ったのも、みんながいなかったら、私はずっと自分のやりたいことから目を背けていたはず…。ありがとう。そして、これからもこの繫がりを大事にできる仲間でいたいね。

オークン!!

JMASさんへ

 出逢えたことを心から感謝いたします。そして、私たちは本当に感謝しています。たくさんの経験と自分たちの考えを張り巡らせたタサエンでの日々。決して忘れることはなく、私たちの次なる行動へとなるでしょう。これからもよろしくお願い致します!

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